普通の人が考える「ションベンできるところ」とはトイレのことなのだと思うが、男にはトイレに限らずともションベンできるところを見つけ出す、いわば本能的なセンサーが備わっていると思う。ただ、そんなセンサーも最近はほとんどの人が鈍らせてしまっていて、使われることもないはずである。なぜなら、街中の至る所にはコンビニが存在していて、そこでトイレを借りることができるからだ。ちょっと考えてみて欲しい。立ちションに異常なフェチズムを抱いている我々以外の一般人が、トイレ以外のションベンできる場所をあえて探すだろうか。普通はまず、トイレを探すのだろうと思う。普通の人がションベンできるところを探すシチュエーションなど限定的であって、山奥とか河原とかトイレが絶対ないような、許された環境下だけで発生する特別なイベントと見なされるだろう。
しかしながら、今回はこの「ションベンできるところ」を探すセンサー機能が、フェチズムと関係なく、ズレてしまっている男たちが一定数存在することについて語りたい。その彼らは、「ションベンできるところ」を「ションベン“できそうな”ところ」と脳内で変換する。
先日とてもシコい場面に遭遇した。平日22時台の大きな駅のタクシーロータリーでの出来事である。タクシー乗り場の前で、推定40代の男3人組、ファッションを描写すれば細身スウェットパンツにダウンジャケット(ノースフェイスw)を着込んで、ニット帽とスニーカーで日焼け気味の肌。3人ともにほぼこれに準じて色違いな服装で、総じてすっげー立ちション慣れしてそうな風貌の悪いオジサンたちと言えば、なんとなく伝わると思う。たまたまタクシーが乗り場に来ていない状態だったからか、そのうちの一人がでかい声で「ちょっとコンビニでションベンしてくるわ」と告げて、単独行動で仲間から離れていった。運良くその瞬間に通りかかったためしがき氏も、急にコンビニに行く用事を思い出し、偶然のかたちで後を追うことに。すると、コンビニへは駅方面に少し戻り信号を渡らなければいけないのだが、その男は信号を渡ることはせず、タクシーロータリーすぐそばの大手都市銀行の横に設置されてるスピード照明写真機と自販機の陰に立ったと思った瞬間、ビチャチャチャと音を立てて立ちションをはじめた。緊急事態宣言下の夜なので、人通りも少なく、かなり堂々とやっていた。
この男、連れにはわざわざ具体的にコンビニへ行くと告げたのにも関わらず、立ちションをしはじめたのは、決してコンビニに着くまで我慢できないからではない。何食わぬ顔をしてタクシーロータリーに戻り、そのまま3人でタクシーに乗り込み消えていった。立ちションでビショビショになったアスファルトを見ても、いい泡立ちはしているものの、大量のションベンってわけでもなかったことから、これはコンビニまで行くのが面倒くさいと感じたからに違いない。
男たちがトイレではないションベン“できそうな”場所を探しはじめる時にトリガーとなるのは、「めんどくせー」という感情からに違いない。男のションベン放出のプロセスは、チ●コを出して放尿して終わりだ(「チ●コしまえよw」ってネタである)。こんな簡単なことをヤるために、わざわざトイレに行くのはめんどくさくて、トイレじゃなくても同様のことができそうな、隠れられそうな場所を探し始めるのである。ションベンできそうなところの定義は、わざわざトイレに行くのがめんどうだと感じる屋外の状況下で、立ちションしても大丈夫そうな場所、つまりは隠れられそうな場所を言うのだろう。もちろん、その人の性格によって大丈夫かどうかをはかる尺度は違ってくるだろう。完全に存在自体が隠れられるのか、大通りから一歩外れてるだけでよしとするのか、あるいは電柱一本あればいいのか、はたまた立ちションしてることは丸見えでも局部だけ隠れてればいいのか。
ションベンできるところが、トイレに限らずションベンできそうな場所にズレてしまっている男たちには対処法がない。この類いの男たちは、トイレがある公園にいたとしても、缶ビール片手に自分の座っているベンチの横の草むらで立ちションしたりする。彼らにとっては、ションベンすること自体がめんどくさいイベントなのかもしれない。