おもらしがしたい

 正常な思考回路の持ち主なら、“お漏らし”にいたってしまう過程で持ち合わせる欲求とは「おしっこがしたい」あるいは「トイレに行きたい」だと思う。が、このブログではそうではない。おもらしがしたい。とっても、おもらしがしたい。いや、おもらしがしてみたい。とびっきりのおもらしがしてみたい。実はためしがき氏はおしっこの「おもらしバージン」である。おしっこおもらしバージンは一体なんのことかと言うと、成人してから他人におもらしを見られたことがないから、バージンなのである。

 ところで、大人同士がたまにする話題として、「最後におもらししたのはいつ?」と問うことがあると思う。みなさんの答えはどうだろうか。なお、回答はおしっこに限定されたい。たぶん、小学校低学年とかそんな感じだと思う。人によっては、幼稚園の頃と答えるかもしれない。では、ちょっと質問の方向性を変えてみよう。「最後におしっこを漏らしてるところをを見られたのはいつ?」これならどうだろう。きっとこれも、最後におもらしをしたときと同様の答えが出てくるのだと思う。だって、よくよく考えると、幼少期のおもらしってのは、大人にバレてしまうものである。だから、人々が心の奥に隠している幼少期の記憶のある限り最後のおもらしとは、一般的には人に見られてしまった失敗談に等しいはずである。

 一方、成人してからはどうだろうか。成人してからおしっこのおもらしを他人に見られたのはいつだろうか。まず、大前提としては、成人してからのおしっこおもらし経験がある男は、事実として決して多くはないと断言せざるをえない。ブログ読者の夢を壊す発言でまことに申し訳ないが、男の場合は最終手段としての立ちションという選択があることは、過去の記事で述べたとおりである。成人男子のおしっこおもらしは、基本的には泥酔している場合と手足を縛られ軟禁されている状況下(軟禁にはクチにガムテープ必須)を除いて、基本的には発生しない。大事な商談中に無計画に飲んだお茶が膀胱を直撃して限界になっても、大人だから結局なんとかなっている場合が多い。渋滞に挟まれても、恥をしのんで立ちションしたり、同乗者がいても「漏らしちゃうよりはマシだから」と同情されながらペットボトルに出したり、あんがい何とかなるのである。花火大会で仮設トイレが大行列?女子ならおもらしの危機で間違いないが、男は草むらに向かい適当に済ませることで何とかなる。そう、大人だから。つまんないね、大人。おしっこの失敗しないんだもん。

 つまり、他人に見られながらのおもらしをしてみたいのである。「うわ、こいつ漏らしてやがる」「えっ」「そんなに我慢してたの?」などのセリフが伴うくらいの大イベントとなるおもらしがしたい。他人は、不特定多数の赤の他人でもいいし、知り合いでもいい。絶対にトイレに連れて行かれない状況や、立ちションあるいはペットボトル、携帯トイレ、ビニール袋などのおもらしを回避できる手段を他人から提案されないという条件下がいい。本当に我慢できないなら、もうその場でおもらしするしかない。そんな場面は、いつどこに存在するのだろう。

 けれども、わざとこういった状況下を作り出すのは、一人プレイとなり志向を異にする。わざとおしっこを我慢して帰路につき、マンションのエレベーターで膀胱の容量的にも精神的(もうすぐトイレだ、っていう)にも限界を迎え、さらにドアの前でカギを探すのに手こずりおもらしするのは簡単である。もっとも、これだと見られてしまう可能性が低いのだけれども。ドアの前で水たまりを作っている瞬間に、運良くイケメンのお隣さんが出てくるだろうか。たぶん、そうはならない。では、おもらしを目撃してほしい友人を誘い観覧車に乗り込み、その観覧車がトラブルにより停止してゴンドラに閉じ込められ、おもらしを・・・大地震によってゴンドラが停止してしまう確率を考えると、気が遠くなる。(万が一ゴンドラが止まってしまっても、「床に直接しちゃえよ。もらすよりマシだろ」って言われそうであるが。それはそれでシコい。)

 いくら考えてみてもおもらしバージンを世間に捧げることは難しそうなため、おもらしにフェチズムを感じる同士に直視してもらいながらおもらしをすることで、手っ取り早く童貞を卒業してみるしかなさそうである。