日本語の動詞をカタカナで書くと、エロくなる。動詞とは、“人の動作を表す品詞”のことを指すらしい。「漏らす」とか、「出す」とか、「放尿する」とか、「我慢する」とかかな。ほーら、ションベンと関連付けると国語のお勉強だって楽しくなる。「そこら辺でションベン、ヤってもいいよ」とか「ここでオシッコ、シていい?」なんて書かれると、なんだかワクワクしません?
最近、誰かに「ここでションベン、シちゃいな」と言われてみたい願望があることに気づいた。自分自身が考える、ここでなら立ちションできるぞという場所と、自分以外が思う立ちションできる場所は、若干、いやかなり異なっているのだと考えるようになった。完全に隠れていないと気がすまない人もいれば、陰部だけ隠れていれば、後ろ姿がモロにションベンしてる感じなのはバレても大丈夫なんて人もいる。だから、立ちションしようとなったときに、自分以外の人の「俺なら、ここで立ちションできるけどな」って感覚が知りたいと思ってしまったのである。
連れションだと話がいくぶん分かりやすくなるかもしれない。例えば3人で行動してるときに、立ちションをすることになったとしよう。誰か1人が「ここでいいんじゃない?」と決めたら、よっぽどのことがない限り、立ちションスポットはそこに決定するはずである。その人が「ここならできるぞ」という感覚を持ち合わせていて、それを共有しだせば、たちまちそこができそうな空間になれるのである。連帯感って大事。
「リードしてくれる人がタイプなの」なんて女は言うが、男の俺だって立ちションに関してはリードしてくれる人がタイプなの(はぁと)と言いたい。立ちションしなきゃいけないくらいションベンがしたいときに、一番やりにくいのは、一緒に行動してる相手が「うわ、こいつこんなところで立ちションすんのかよ」と興ざめすることである。こっちだってションベンを今すぐに出さないと股間がタイヘンなことになる15分前を過ごしているのだから、恥ずかしい。そんな中、トイレが無さそうだから立ちションできそうな場所を、あれやこれやと吟味している。そんなとき、「そこでシちゃいな」と大人らしくワイルドなリードをしてほしい。これって、ションベンがしたい老若男女はみんな同じでは?とすら思う。だから友人や同僚がトイレを見つけられず困っているときには、積極的に「そこでシちゃいなよ」と具体的なスポットを指定してあげよう。それか、「俺ならそこでシちゃうな」と、俺でもやるんだからお前もできるだろ、と強く言ってあげると、それは必ず相手からは優しさに思われる。