高校時代、同じクラスの馬場くんのことが好きだった。文理選択もたまたま同じだったから、結局3年間は同じクラスだった。こっそり片思いで遠い存在の彼、という感じではなく、実はクラスでは一番の仲良しだった。馬場くんには彼女はいなかったけれど、ノンケが見るAVを所有していたし、女紹介してよっていつも言っていたから、ノンケのはずだ。大学に進学してからも何度かは会って遊んだりもしていたし、馬場くんは進学後に一人暮らしをしていて、そのアパートにはよく泊まりに行って遊んだりもしていた。夜通しゲームもしたなぁ。
当時はまだガラケーのメアドで連絡を取り合っていた時代で、iPhoneがソフトバンクから出たのとほぼ同時くらいの早いタイミングで、馬場くんは早速iPhoneに変えていた。“メアドが変わりました”と、当時はみんな頻繁にメアドを変えてはメールで通知していた。馬場くんから受信したそのメールが、それまで一緒だった「@t.vodafone.ne.jp」から、彼だけ「@i.softbank.jp」に変わっていたことに妙な寂しさを感じた。確かこの頃には、もうお互い大学は卒業していたと思う。卒業後、自分の環境も大きく変わり、地元を出たし、しばらく馬場くんとは会えていなかった。次第に馬場くんのことを思い出さない日のほうが多くなっていった。
大学を卒業してから約2年ほどが経った頃、ふと「久しぶり。元気?」なんてメールをしてみたことがあった。メールはすぐに不達となり舞い戻ってきた。もう、馬場くんとは連絡が取れなくなったのだと分かった。携帯E-mail世代は、メアドを変えるときに軽い人脈の整理をする。この人はもう別に教えなくていいかな、という具合なものだから、今のLINEのブロックなんかよりも気軽に整理できる。心理的ハードルが低い。あんなに仲良しだったのだから、「メアド変えた?メール戻ってきたよ」とコミュニケーションをひとつ取ればそれで済んだはずなのに、勇気がなかった。ちなみに、この頃は自分自身も2台持ちしていたWILLCOMをメインにして、vodafone時代から使っていた番号は解約していたので、馬場くんとのケータイを通じた縁は完全に切れていた。
馬場くんには、高校の頃、恐怖失禁を見られてしまったことがある。これが本当に恐怖失禁と言えるのかどうかは定かではないが、彼の横で自分はマジでマジの失禁をしてしまった。失禁といっても、全部を漏らしたわけではない。たぶん、ほんの少しシミを作る程度だったと思う。自分の身に起きたエピソードに対してはエロやフェチは一切感じない。だから詳しい状況こそ、実はほぼ覚えていない。もしこれが仮に、馬場くんの失禁だったら、状況やズボンの色、濡れてる場所や量、そして肺活量をフルに使って吸った空気に漂うションベンのほのかな香りなど、全てが鮮明な記憶だっただろう。
神奈川には京浜急行という路線がある。馬場くんが住んでいたのは、この京急線沿いだった。高校の帰りに彼の家へ遊びに行き、その帰りの出来事だった。馬場くんは、帰りもわざわざ横浜駅まで一緒に電車に乗り送ってくれた。当時、電車に乗るときはパスネットという磁気カードを使っていた。横浜駅で京急を降り、連絡改札口を通ろうとしたとき、自分のパスネットはエラーになり、改札を通ることができなかった。パスネットの時代では、2枚の切符を重ねて改札機を通すと、自動精算ができるシステムがあった。それを、自分は通学定期券と2枚で通すことで、正常な精算をしたつもりだったのだが、どういうわけかエラーになった。有人改札に行くと駅員のお兄さんは、こちらの言い分を聞き終えると、高圧的な態度で「パスネットに入場記録ないけど?どっから乗ったの?」と問い詰めてきた。馬場くんの住んでいる駅から乗ったので、その駅名を告げても、なぜか詰問口調は止まらず、「横浜が範囲の通学定期券だけど、どの電車に乗った?」と更に問い詰めてくる。たぶん通学定期券を使ったキセルを疑われていたのだろう。高校の制服を着ていたこともあってか、最終的に駅員は、定期券に記載された高校の最寄り駅から馬場くんの家の駅までの運賃と、更に馬場くんの最寄り駅から横浜までの合計運賃を支払う必要がある、と言ってきた。今思い返しても、なぜ京急の駅員がそのようなことを言ってきたのか、理解ができない。ずいぶん昔の話になるから、自身の記憶が間違っているところもあるかもしれないが。
こちらも、「はい、そうですか。分かりました」となるはずわけもなく、高校生としての精一杯の反論をした。「君、これ不正乗車だから。犯罪だよ?」と、まぁすごい対応であった。そのやり取りをしているうちに、突如、股間に違和感が走った。なんだか、今にも射精してしまうのではないか、というムズムズした感覚に襲われた。ちょっと気持ちがいい錯覚すらした。そして、駅員と若干の口論になっている中、今度は、例えるなら重い荷物を長時間持ちすぎて、手に力が入らず、腕やら手やらの筋肉がヘロヘロになった状態が、そのまま股間に適応されたような、強い違和感に襲われた。足もガクガク震えた。
男なら分かると思うが、出かかったションベンを我慢したり、もしくは出ているションベンを無理やり止めようとするときに、チ●コの付け根なのか肛門なのか、はたまたその中間なのか、という微妙な場所に力を「キュッ」と入れると、ションベンを筋力で止めることができると思う。駅員の前で、「(なんか分からないけど、とにかく何かが出ちゃいそう)」と思い、「キュッ」と力を入れ我慢しようとするが、まったく力が入らない。本当に力が入らなかった。そしてそのまま、射精をしてしまったかの錯覚の中、ションベンを漏らしてしまった。でも幸い、そもそも膀胱にションベンが溜まっていなかったから、ビチャビチャと漏らしたわけではない。結果的に、駅員との口論の内容よりも、股間の違和感と、出そうなものを我慢する部分に力が入らないという焦りで、とにかく手で制服のズボンの上からチ●コを思いっきりつまんだ。つまみながら、お漏らしをした。
結局のところ電車賃は、馬場くんの最寄り駅から横浜駅までを、つまり正規料金のみを支払った。当たり前だろう。パスネットに入場記録がついていないなんて、きちんと改札を通った乗客側に問題があるわけがない。駅員とどういうやり取りがあったかは、もう失禁のことで頭がいっぱいだったから覚えていない。とにかく覚えているのは、先に改札を出て、ふらふらしながらこちらを待っていたいた馬場くんが、あまりにも長い対応と、更には股間に手を当てているという明らかな異変に気づき、助けてくれた。駅員も、こちらの失禁には気づいていた。今更だが、「男子高校生を失禁させた気分ってどうだった?」と、その時の駅員のお兄さんの気持ちをうかがいたい。そして私は、その話をパンツを下ろしながら、お兄さんの目と私の目を外らさず聞いていたい。
高校の制服は紺のブレザーとスラックスだったから、ションベンの染みは目立たなかった。馬場くんは、トレードマークの八重歯をむき出しにして、爆笑した。「お前、バカだなー」って。この射精してしまうような感覚のあとに、力が抜けてションベンを漏らしてしまう体験は、実は小学校の頃にも経験したことがあった。そろばん教室の時間を間違えて家を飛び出し、遅刻したら怒られるのでは、と焦りはじめ、教室に到着する手前ぐらいで教室に行くのが怖くなり、股間に異変を感じたのである。その時はまだ小学生だったから、射精とかチ●コから精子という小便以外の体液が出るなんて知識はなかった。だから、「どうしよう!急におしっこが出そう!」などと思い、教室があった建物に着くと自転車を乗り捨て、そのまま建物の裏に駆け込み、恐怖失禁一歩手前の立ちションをした。家を出たときには尿意なんてこれっぽっちもなかったのに、体が恐怖失禁モードになり建物の裏に回る途中でションベンは出始め、ズボンを下げながら股間の力が全て抜けた感覚で、全く勢いのないションベンがチョロチョロと細く細く、いつもと完全に違う変な感じで出た。量は少なく、立ちションはすぐ終わって、股間は落ち着いた。恐怖失禁は、自分の経験では、勢いよく出るのではなく、ゆっくり勢いなく出るようだ。まぁ、横浜のときも、このときも、たまたま膀胱にションベンが溜まっていなかったから大惨事にならなかっただけだとは思うのだが。
話を馬場くんに戻すと、馬場くんのトイレ以外での立ちションは一度も見たことがなかった。あんなに仲がよく、一時はいつも一緒にいたのに立ちションを見たことがないとは何事だろう。小便器での放尿時にも、彼はガードが固い人だった。だから、馬場くんのションベンの放尿線は、それまで見ることができなかった。そんな中、一度だけすごく印象的な出来事があった。これはもうお互い大学生で、その時に飲み会帰りの馬場くんと、なぜかたまたま横浜にいることが分かり、合流して2人で遊ぼうということになった。そして、待ち合わせをし落ち合うと、飲んだ後で上機嫌だった馬場くんは、ションベンがしたいと言い、ヨドバシがある方面の地下街にあるトイレに立ち寄った。そこで、ふと横目で馬場くんの放尿の様子を見ると、飲んでいたせいか便器から体を遠ざけで、勢いよく透明のぶっといションベン線を披露してくれていた。いや、見せてくれているわけではないのだが、今まで全くと言っていいほど見たことがない馬場くんのレアなションベンは、いかにもビールを飲みまくり我慢していた感じで、勢いもよく放出時間も長くてエロく感じた。そして、右手の親指で下げたパンツが、ズボンのチャックとチ●コの隙間からほんの少しだけ見えた。ピンク色のトランクスだった。パンツやパンツ姿そのものを見たいとは思わないのだが、ションベンをしている時に、下ろしたチャックからちょっとだけ見えるパンツの一部は、ものすごくエロいと感じてしまう。
その日、帰宅するやいなや、馬場くんのションベン姿のことを海馬から脳内で、つぶったまぶたのスクリーン上に投影して、速攻でシコった。イくときに、頭に電撃が本当に走った。それくらい好きだった。馬場くんのことを考えるときは、いつも真心ブラザーズの『この愛は始まってもいない』という曲の歌詞とメロディーが思い浮かぶ。今でもスマホの電話帳には、未だに馬場くんの携帯番号だけは保存されている。