珍しく寝小便とオムツの話でもしようかな

 GWも終盤にさしかかり、東京は暖かいが風が強い。寝そべりながら見るネットニュースから渋滞の知らせを耳にする。この行楽シーズンには、どれくらいの人が渋滞によりおしっこ我慢を強いられたことかと、つい考えてしまう。普段、我慢とはまったく無縁の者が、

「もしかしたら間に合わないかも」

「10年ぶりくらいの立ちションをするしかないのか」

「ペットボトルに出すか」

「携帯トイレだけは使いたくねーな」

なんて考えを頭によぎらせたことだろう。意を決し、路肩で本当に久しぶりの立ちションを実行してしまった男だっているはずだ。日常的に飲み歩き、帰り道でしょっちゅう立ちションしちゃうようなヤンチャな男はさておき、このシーズンにおいては、普段は立ちションと無縁な男が、久しぶりに、しかも真っ昼間のシラフな状況で、なおかつ場合によっては成人して以来初めての立ちション体験になってしまう場合もあったりするのだから、本人としては恥ずかしい思い出になり得る。

 男であっても、立ちションに慣れていないと、膀胱が痛いほどに限界まで我慢してしまっても、うまくできないことがある。いざ路肩という、閉ざされていない、トイレの密室とは違うようなところにおいて、立ちションのためにチ●コをベロンと取り出してみたところで、脳に「ここで小便するぞ」と信号を送った自身の意思とは裏腹に、理性と羞恥心が邪魔をし、瞬時にジョボジョボと気持ちよくションベンが出せるとは限らない。ちなみにためしがき氏は、女性のオシッコ我慢事情については門外漢のため、信憑性を欠く発言になってしまうが、女友達の証言から蓄積した知識から推測すれば、女性は我慢の限界に達した状況下であれば、パンツを脱いでしゃがみちょっと力むだけで、一気に勢いよく瞬時に放尿ができてしまうらしい。一方、男の場合は、トイレでも人が後ろに並んだだけでションベンが出せないような人が大勢いることからも、我慢の限界であっても、それが不慣れな状況や誰かに見られている可能性が懸念されるような場面では、ションベンは思い通りにすぐ出せない可能性があるのだ。男は尿道も長いし、前立腺という器官もあるから、ションベンという液体が膀胱からチ●コの先っちょに到達するまで通るべきホースがとても長い。なお、前立腺についての詳しいことはよく知らないから、実は今この数行については、ちょっと適当に書いている。

 以前のブログ記事にも書いたと思うが、立ちションやペットボトルへの放尿は緊急事態に陥る前に、一度、迷惑をかけないような一人のシチュエーションで練習しておくべきなのである。経験豊富で何事も落ち着いて対処できる大人になるためには、やっておいたほうがいいタスクの1つが、立ちションとペトションなのだ。いざ慌ててからやっても、いいことなど起こるはずがない。飛行機の客室乗務員のキレイなお姉さんだって、「気流の関係で機内が大きく揺れておりますが、飛行の安全性には問題ございません。万が一、ションベンが漏れそうなお客様は、シートポケットのエチケット袋を“お早めに”ご用意ください。」とアナウンスしている。イレギュラーな出来事の発生が予想されるときには、プロも余裕を持てと言っている。

 さて、このGWは、ためしがき氏は家で断捨離を兼ねた掃除と、普段なかなか洗えない布団一式を洗っては干して、という動作を何度も繰り返し、洗濯機をフル稼働させた。乾きにくいものは、数時間ごとにそれを裏返したりと、家で本当にゆっくりと過ごした。敷き布団を干していて思ったのだが、久しくおねしょをしていない。おねしょだとずいぶんと子供っぽい響きに聞こえる。寝小便のほうが、いささかアダルトな響きになる気がする。最後に寝小便をしたのは、幼稚園くらい昔の話になってしまうと思う。おねしょには別に困らない幼少期だった。

 さて、男の小便フェチの世界には、寝小便フェチというジャンルも存在する。あいにく、ためしがき氏は、寝小便・飲尿・オムツ・ぶっかけプレイにはそれほど勃起しないため、そういう人とはエンカウントして実際に戦闘モードになったことはない。ここでの戦闘モードとは、“プレイする”というシチュエーションのことを指す。でも、それらのフェチに対する理解は大いにあるため、それらに嫌悪感を抱くということは一切ない。あくまで、自分では積極的にはヤらない、というだけである。オムツも、まだ自ら購入したことはない。

 つい最近、登録者数がさほど多くない若手YouTuberの動画を見ていて、オムツについて考えたことがある。彼らの中には、小便我慢選手権というナイスな企画を、大量の飲み物のサムネとともに公開している者がいる。だが彼らは、なぜか決まって大人用のオムツを着用して、守るモノは守った上での我慢対決をしてしまっているのである。一部のオムツフェチの視聴者にとっては、これでもアリ寄りのアリなのかもしれないが、非オムツフェチにとっては、我慢に必ず伴う「漏らしてしまうかもしれない」という結末に向けた臨場感を味わうことができず、動画の構成としては実に惜しいと感じてしまった。できれば、オムツなんかに甘えず、人前に出るためのいつものオシャレな服で、そして普段使いのパンツのままで挑んでもらいたいものである。我慢対決に敗れて、ズボンとパンツの中で粗相をしてしまったら、YouTubeというプラットホームにおいては、それがエロコンテンツ認定され、垢バンの危機があるとか、広告が付かないとか、そういうことは詳しく知らない。それでも、限界に達したときに、オムツの中で放尿していると思われるシーンの約40秒程度は、一部の視聴者にとっては放尿中の顔ですら性的コンテンツに変わってくる。この点では、ノン小便愛好家にとっては、こういったコンテンツの盛り上がりどころはどこにあるのだろう、と疑問に思ってしまう。今の言葉で言うなら、誰得?っていう。女性ファンは、推しがオムツにお漏らししているのを望んでいるのだろうか。

 しかしその一方で、非オムツフェチにとっては、オムツへの小便発射に至るまでのモジモジ感や、「もう俺、無理かも」といったやりとりに対しては素直に楽しめるのだが、どうしてもやはり「どうせオムツ履いてるんでしょ?」という、冷ややかな視線で視聴してしまう。これで世界へ向けた小便コンテンツと言われても、う~ん、と首をかしげてしまう。(あっ。彼らは別にフェチを満足させようとコンテンツを制作をしているわけじゃないのか。)

 それでもごくまれに、ハプニングとしてオムツが我慢に我慢を重ねた元気な若い男がぶっ放した小便の全てをキャッチしきれず、ズボンへ漏れ出したごく少量の染みを爆笑とともに映している動画も存在している。やはり人間は、大人になってもウンチ・オシッコで笑いたい動物なのだろう。きちんとそういうやりとりまでコンテンツ化しているYouTuberの場合には、小便評論家としての上から目線により、彼らには未来が見えるなぁと感じ、高評価をもれなく押してあげることにしている。ところで、登録者数があまりいない仲良し男子5人組的なYouTuberは、普段の動画は再生数がせいぜい2~3桁程度なのにも関わらず、小便我慢選手権を1度やると、その動画のみ1万再生を軽く超えていたりするのも興味深い。そして、そのコメント欄には、いやらしい視線による英語での応援メッセージなんかも書き込まれているものだから、「これは伸びる!」と味を占めた彼らは、「第2回!小便我慢対決」と題した企画を投稿してしまうのである。ここから分かるとおり、ノンケのオムツお漏らし需要は、絶対あるっぽい。

 話を寝小便に戻すが、どうすれば寝小便を体験できるのだろうか。成人してからアクシデント的にホンモノの寝小便をしたことがある人がいれば、謝礼をお渡ししてでもインタビューをしてみたいほどには興味がある。もちろん、就寝前に水分を取り過ぎたようで、朝起きるときには膀胱がパンパンという経験なんかは自分自身でも人並みにあるし、さらに言えば、夢の中でその強い尿意をはっきりと意識し、夢の中で気持ちよく立ちションをしたことだってある。現実ではあり得ない場所で立ちションしてしまっていたのも、夢らしい。自宅キッチンの冷蔵庫と壁の隙間でやっている場面描写が嫌にリアルな夢とか、公衆トイレらしき場所の便器と無関係の地面にある排水口をめがけてやっている夢とか。同じく公衆トイレらしき場所で、大便器のドアの最後の並びにありがちな掃除用具等が置かれている個室で、モップを洗う大きめの流し台で立ちションしちゃう夢とか。私の脳って、つくづくどうなっているのかと心配になるような場所で、夢の中では堂々とやっちゃっているのである。夢なので基本的には起きたらすぐに内容は忘れてしまうのだが、それでもさすが立ちションフェチの脳が見ている夢なので、強烈なシチュエーションで放尿した夢に限ってはずっと覚えていたりするし、なんならションベンに関する夢は、実はかなりの高頻度で見ているように思える。それにも関わらず、そういった夢を見ながら、要は夢の中でションベンを出したのと同時に布団の中で寝たままションベンを出してしまったという経験は、今まで一度もない。そして、いつもなぜか、夢の中での放尿は現実とは異なり、かなり力んで立ちションをしているような感覚で目覚める気がする。力んでいるおかげで、それが逆にストッパーとなり実際に寝小便をしていない可能性は高い。ちなみに、立ちションをする夢を見て、夢精をしたことなら、遠い昔となる高校時代には数回ほどある。成人してからは、夢精なんて一度もしていない。だから、要するに寝ている間にチ●コから、ジャーでもピュッでも、そういった音を伴う動作を体感していないのである。布団を激しく汚して洗うのはめんどくさいけれども、たまにはイレギュラーなことも味わいたい。先にも述べたように、何事も経験しておかないと、いざと言うとき慌ててしまうからである。

 今回、GWではたくさんの時間があったので、敷き布団やら掛け布団やら、枕やらの全てを洗濯した。真っ白な敷き布団に、黄色が乾いてやや茶色になった世界地図でもあれば、洗濯した後の達成感と楽しさも倍増したのにな、なんてことを考えながら、布団を夏にも通ずる強さの日差しに当たるように干していた。