突発的なトイレの多くがうんこだと思う。お腹の調子っていうのは、予測不能なことが多いし、みんなそうだから突発的な便意は許されるし、心配されるし、それによって出る影響なんかも考慮される。「お腹の調子が悪くて、駅でトイレに寄っていたため遅刻しました」これは理由になるのであって、世間は便意には優しい。しかし、小便はどうだろう?
激しいスポーツをしている時なんかを除いて、基本的にはなにか飲み物を口にしたら、その後、一定時間を経て出る。だから小便については割と逆算がしやすいので、という認識が我々のどこかにあるのでないか。例えば、長時間トイレに行けないことが予想される試験前とか運転前とかだと、「念の為に(今はしたくないけどトイレに行けるうちに)ションベンしておくか」ってなることが多いと思うし、もしくは予防的に飲み物を飲みすぎないように、とセーブしたりする。うんこは、「今、食べたこのハンバーガーは、●時間後に便意になるから、●時●分にトイレ寄るのは必須だな」なんて考えて生きている人がいるとすれば、割とシンプルにやばいと思う。病名が付くような場合はもちろん除きますが。
話を戻すと、世の中には一定数、小便管理が緩いというか、根本的な小便管理が甘い男がいる。どういう男かというと、「念の為にションベンしておく」という行為がスケジューリングされていなく、要はそれが皆無なのである。もっとも男の場合、屋外に限って言うなら、近隣にトイレがなくても隠れて立ちションすることだって可能だし、仮にどうしても我慢ができなかったとしても、個人的な感情が「こっ恥ずかしい」ぐらいで、人が誰もいない場所さえ見つけてうまく立ちションできていれば、“我慢できなかったこと”によって受ける社会的ダメージは実はほぼない。だから成人男性にとって、小便我慢の最後の最後に待ち受けている結末は、おもらしではなく、隠れて立ちションで済む場合がほとんどなのであって、やはりこれも「男だから立ちションくらいしょうがない」という、謎のルール、もとい言い訳がほぼ認められているという事実のもとに成立する。大人がコソコソ立ちションする恥ずかしさと、おもらしする失態、この二つを天秤にかけてみたところで、まぁ立ちションするよねという最終判断。これが野外でなく屋内だった場合なんかでも、「トイレに行かせてほしい」とのセリフを、“言うか言わないか”で生じる、我慢による苦痛が伴う時間の短長の違いであり、要は軟禁状態でもない限り、「大人なのにもう我慢できません宣言」をすることに羞恥を一時的に感じるだけの程度ですんなり解決してしまうのだ。この一時的な羞恥とは、屋外での「大人なのにコソコソ立ちションしてしまっている」羞恥とちょうど 同じくらいのレベルなのだと思う。他方で、試験中や会議中での我慢中に「おもらしする失態」と「“もう我慢できません”と宣言すること」を天秤にかけて、宣言してトイレに行くことを許されることが賢明では、と考えるこのプロセスは、立ちションをするかしないか、あるいは、しなきゃマズイのかしなくても持ちこたえそうなのかの判断を迫られる状況に極めて近い。小便を我慢している場所が野外の場合だと、トイレ以外で放尿している最中に羞恥を感じ、屋内の場合だと、トイレに行かせてもらう許可を得ることが羞恥のスタート地点で便器前に到着後、その羞恥は消える。屋内では、トイレに行かせてもらえれば、トイレで放尿をしていること自体は正常な行為なのであり、放尿に対しては羞恥心が生じないことが極めておもしろいと思う。小便我慢の当本人からすると、屋外ではションベンがチ●コを伝わって放尿している最中に羞恥を感じ、屋内では膀胱がパンパンで我慢している状態で羞恥を感じることになる。これ、シコみポイントがうまく言葉で伝わるか若干不安ではあるが、実際シコい。
先述において、トイレにいけないことが予想される前に、膀胱を空っぽにしておくという行為を重視せず、小便に行きたくなったらようやく対処するという人がいる、と書いた。そもそも、トイレが近いなどと自覚している人は、小便管理に余念がない。トイレに行けなくて困った経験が過去に一度でもあったりする場合や、あるいは立ちションするということに対して理性的で強い拒否反応を示す真面目な人や、そもそも立小便だなんてそんな反社会的な行動は致しませぬくらいの神経質な男も、事前にトイレを済ませておいて、小便我慢の危機から常に己を遠ざけるよう努力している。では小便管理が甘い男は、なぜ計画的にトイレに行き放尿をしておかないのか。
まずは、膀胱の容量が比較的大きい男、つまりトイレが近くないと自負するような男の場合だ。こういう男の場合、例えば缶コーヒー1本や会議で出されるペットボトルのお茶をスルスルと飲み干したところで、その30分後でもわずかな尿意を感じるくらいであり、それは我慢に値しないと言うか、小便を無感覚でしまっておけるタイプなのだと思う。こういう男は、普段から事前にトイレに行っておく必要はないし、そもそもトイレが近くない男が小便に行きたい場合においては、車だったら他の同行者なり、会議だったら他の出席者なりがとっくに我慢の限界を迎えている。つまり、膀胱容量の大きい男がトイレに行きたいと先陣切って申し出なくても、その状況下ではすでにトイレ休憩の時間が設けられていたりして、やはりここでもこういった男には我慢の機会を与えてはいないのである。しかし一方で、膀胱容量の大きい男が、マジで小便我慢をしてしまったような異常事態の際には、普通の人とは違ったの一種の代償とも言える事態が生じ得る。仮に、車の中なんかでペットボトルに放出しようものなら、一般的な500mlなどでは到底足りなく、1本しかペットボトルがなかったら途中で放尿中断せざるを得なかったり、だいたい2リットルのボトルが車内に存在することなんて稀なのであって、当たり前であるが膀胱容量が大きい人が出すってことは、それを受け止めるものが膀胱容量以上のものでなければならない。あるいは、隠れて立ちションした場合なんかにも、溜めてる分が多い分、出し切るのにも時間がかかる。我慢しすぎると出るスピードが細くなるし、出し切るのに2分以上かかったりで、サクっと秒で!とはいかない。
もう一つの小便管理が甘い男の類としては、小便することに関して一切の羞恥心を感じないような男である。こういうタイプの男は、先に述べたトイレでないところで立ちションすることに対して何ら羞恥心を抱かなければ、トイレに行けない状況下で「トイレ行ってきます」なんて一言も恥じらいなく発言できる。我慢してること自体に関しても、誰でも鼻水かむでしょ、ってぐらいの誰でもあることって捉えていたりもする。更には角度を変えて考えてみると、この類の男は、他人が小便を我慢できない状況に対しても寛大というか、何も感じなく、「小便?我慢できないならそのへんですれば??」という程度なのである。したがって、よっぽどのことがない限り事前にトイレに行っておく必要がない人たちなのである。ある意味、最強。
この他にも、もうひとつのタイプの男が存在していて、これが世間一般的には一番厄介でありつつも、立ちションor我慢見物好きという特殊世界に住む我々にとって都合がいい存在となる。それは、特にトイレが近いってわけではないがために、事前にトイレへ行っておくことをついつい忘れてしまいがちなタイプである。性格的な部分も大いに関連してくるとは思うが、小便管理が緩くて甘いというよりかは、管理が適当でずさんで、総じて無頓着。もっと悪く言えば、計画性がない男であり、「トイレに関しては特に」と注釈がついてしまうタイプである。そして、特にトイレが近いわけではないことの裏返しとして、こういう男は特に近くはないけれども、とりたて小便タンク(膀胱とも言う)が大きいわけでもないので、トイレに行けない場合にはすんなり限界を迎える。でも、そういった稀にあるツラい小便我慢の経験が、次回に生かされない残念なタイプであるから、やはり小便我慢や立ちションせざるを得ない状況に自身を追い込んでしまう場面に遭遇しがちとなる。2つ目に挙げた、小便することに関して一切の羞恥心を感じないような男と比べると、前者の羞恥心を感じない男はサッサと立ちションしたりと、恥じらいがないからこそ臨機応変に対処できるであろう一方、ついつい忘れてしまいがちなタイプの後者は、トイレ行っておくことを忘れているだけなのであり、一切の羞恥心を感じない部類の男のような強いメンタルは持ち合わせていなく、他人に小便で迷惑をかけるタイプである。どういう迷惑かと言うと、立ちションを拒むが我慢もできず同行者とともにひたすらトイレを探したり、もしくは普通に考えればトイレに行っておくタイミングがあったのになぜこのタイミングでションベン限界??ってな感じで、周りを驚かせたりする。無頓着だから、今コーヒー飲み干したらこのあとトイレに行けない時にしたくなるかも、っていう逆算もできない。
社会人としてのマナーというか、社会人でなくても成人男性として、ションベン管理がずさん、というのはマイナス評価になることがある。はじめに述べたように、予測不能な腹痛には社会はニコニコと優しい。でも、小便については、膀胱に自信があったり、恥じらいなく立ちションや、ちょっとタイム!トイレと言い出せるメンタルだったりを持ち合わせていない限り、急におしっこしたい人に対して優しくはないのである。恥じらいなく立ちションするようなメンタルを持つ人に対しては、周りだって笑って済ませると思うけれど、無頓着がゆえに我慢できなくなった人に対しては、その小便したい人の焦りが伝達するように周囲の人々も「えっ、我慢できないの・・・ま、まじで」と焦らせ、ついには引かれてしまう。
今後、道端で立ちションしてる男を見かけたときには、その立ちションしちゃっている男というのは、この投稿で述べたうちの一体どのようなタイプの男に当てはまるのか、ぜひとも考えてみてほしい。