読者のみなさんは、なにがきっかけで立ちションフェチになったのか、覚えているだろうか。ここ数日、天気がよくてぽかぽかした日が続いたため、ためしがき氏が立ちションフェチに目覚めたきっかけとなった場所を訪れてみた。今回は、その場所で約25年前に起こった想い出を記録していこうと思う。
小学校5年生の頃だった。それまで使っていた子供用のマウンテンバイク型自転車が小さくなったので、ミヤタのちょっと大人っぽい青い自転車を親が買ってくれた。それがうれしくて、サイクリングごっこにハマり、天気のよい土日はクラスの友だちと自転車で多摩川のサイクリングロードを走ることが楽しくてしょうがなかった時期があった。ためしがき氏は幼少の頃、川崎市に住んでいて、住んでいるところから子供の足でちょうど1時間くらい自転車をこぐと、二子玉川付近まで行くことができた。小学校5年生なので、もちろん親の許可なしでは電車に乗って遠出をすることなどできないのであるが、自転車ならなぜか親に内緒で、行けるところならどこでも行っても大丈夫だという感覚があって、何度も二子玉川付近まで1時間のサイクリングを楽しんでいた。
梅雨の時期だったと思う。いつも一緒に自転車を乗り回していた友だちと、その土曜日も約束をしていたのだが、今日は雨が降りそうだからと断ってきた。その電話をもらったのは朝の10時頃であった。そして予定がなくなったためしがき氏は、家でスーファミなんかをやりながら、過ごしていたのだが、一向に雨は降らなかった。これはもう雨が降らないのだと思い、昼ご飯を家で食べた後、1人で自転車に乗っていつものサイクリングロードへ行くことにした。
行きは順調に二子玉川に着くことができたのだが、その後、帰路についたのが確か15時前で、一気に空模様が変わってしまい、雨が降ってきた。濡れながら、とりあえず行けるところまで行き、橋の下で雨宿りをしようと思い、必死に自転車を走らせ、最寄りの橋の下にもぐることができた。この橋の下で、小学校5年生にして、人生で初めて“相手を意識する立ちション”と出会ってしまうのである。
この時、雨の中、二子玉川からの帰路に存在した橋は、今になり地図で調べると、多摩沿線道路の「東久地橋」という橋だったようである。その橋で雨宿りをすると、すでに3人の先客がいて、彼らに対し、黒い学ランを着た中高生は怖いなぁと思ったのをよく覚えている。彼らが、中学生だったのか高校生だったのかは定かではないが、すごく大人に見えたので、ひょっとすると高校生だったのかもしれない。高校生が3人、雨宿りをしていたのか、そこで遊んでいたのか不明だが、とにかく自転車を止めたむろしていた。
するとほどなくして、そのうちの1人で一番がたいのいいスポーツ刈りの男子が、橋脚に向けて立ちションをはじめた。なぜかその一部始終を目にしていて、今でもなんとなく覚えている。その男子は、他の友だちがいることさえお構いなしで、急にチャックを下ろし立ちションをはじめた。コンクリでできた橋脚は、雨に濡れない場所にあったので、乾いていて、くっきりとションベンの跡ができていった。遠目でしか見てなく、また周りは雨の音でうるさかったはずであるが、なぜか今では「すごいションベンの音」が聞こえたようにすら錯覚している。その1人が立ちションを終えると、次に一番小柄な男子も、「俺もするわ!」なんてセリフに続き立ちションをはじめた。1人目とは間隔を置いた場所でやったため、コンクリの橋脚にはションベンをひっかけた2つのキレイな染みが残った。その後、彼らはタバコをふかし(やっぱり高校生だったのか?)、終わると最後の1人が、2人目の立ちション跡に被さるように立ちションをして、それが終わると3人とも自転車で去って行った。雨が小降りになったのだ。ちなみに、なぜだか3人目の容姿は全く覚えていないのである。
彼らが去った後、どうしてかわからないが、その立ちション跡が異様に気になり、近寄っていくと、1人目の立ちション跡が大きく、2人目と3人目が同じ場所にした立ちション跡は、コンクリにかけず地面をめがけて放ったため小さく見えた。そして、1人目のコンクリの立ちション跡の下には、濡れた草と濡れた土があり、土はほぼ小便を吸い込み土の色が濃く変化していた。一方、2人目と3人目の地面には、泡立つ大量の水たまりが存在していて、2人分のションベンは土が吸いきれていないようであった。梅雨の時期、むわむわとする湿気の中、コンクリとションベンが混じった匂いが、なんとなくしたことすらはっきりと覚えている。
この光景を見て、見てはいけないものを見てしまったと思った。小学校5年生だったためしがき氏にとって、そもそも立ちションは「イケナイ行為」という認識であって、そういった行為を見てしまったこと自体、とても衝撃的だった。おまけに、その頃は立ちションは幼い子供だけがするものだ、という認識があったためか、どうして学ランを来た大人の高校生が立ちションをするのか、まったく理解ができなかった。なぜなら、「オシッコを我慢できない=子供っぽい」と感じていたため、彼らがどうしてトイレ以外の橋の下でオシッコをしたのか、その子供っぽい行為が単純に意味不明だった。自分より年下の子が、我慢できなくて立ちションしちゃうのなら想像がつくのに、といった具合だ。がたいのいい1人目の高校生は、頼もしそうに見えたし、お兄さんって感じだったから、その人が立ちションしたことにびっくりした。たぶん高校生くらい大人になれば、トイレに行けるときにトイレを済ましておく、そんな大人っぽい世界に生きるのだと勘違いしていたためであろう。だから、当時そんな自分にとっての大人の存在であった学ランの高校生3人が、目の前で立ちションをしたことが、忘れられない出来事になった。雨が小降りになったのにも関わらず、その場所から離れることができなかった。
今思えば、この時に感じた衝撃が心地よかったのだと思う。今でも濡れたコンクリや、泡だってたまった立ちション跡は大好物だし、何度見ても興奮する。当時、小学生だった自分にとっては、学ランを着た高校生も大人に見えた。その大人が立ちションをしたことに衝撃を覚えたことがきっかけのため、今でも基本的には自分より1歳でも年上の男が立ちションをすることに異常な興奮を抱いてしまう。この出来事から約25年、久しぶりにあの場所に行ってきた。多摩川の土手の工事をしていたからか、資材が大量に置かれていて狭く感じたが、たぶん子供の頃に感じる広さと、今では差異も生じたのだろう。Google Mapsを見ると、工事の資材もなく、当時のままの様子が残っていた。