リアル生活で喫煙所のコミュニケーションについて語られた。なんでも、そこで築いた他部署との人脈があるから俺は強いんだ、と。あっそ、って思った。ためしがき氏はタバコを吸わない。路地裏の立ちション観察とタバコは非常に相性がいいんだけど、まだ吸ってない。いつかは吸ってみたい。(※30代後半オジサンの発言)
タバコを吸う人は、彼らのなかでゆるいつながりを感じているようだ。それが赤の他人でも、タバコを吸ってるだけで、喫煙コーナーにいるだけで、つながりを感じる。バイク乗りなんかもそうかもしれない。バイクというつながりが分かれば、一瞬で打ち解けそうなイメージ。勝手なイメージですいません。
タバコを吸っている人は、タバコそのものが吸いたくなって、その行為をする。田舎では原付きは最強の乗り物だから、それを便利な交通手段としている場合はさておき、そのような環境下にはいないのに中免を取ってバイクに乗ってたら、それは乗りたくて乗っている。バイクという乗り物にまたがりたいから乗っている。お腹が空いたから、食べたかったラーメン屋に並んで食べるのは、それはラーメンが食べたいから?それともお腹が空いたから?どっちも満たせている。
前置き長すぎ・・・。要は、夜の日常生活(夜の日常生活とはw)で遭遇する立ちション男どもは、実はほとんどの場合においては立ちションがしたくてしてるわけではないんだよね、って話がしたかった。トイレが見つからないから、しょうがなくした。トイレまで行くのがめんどくさいから、そこでした。トイレまで間に合いそうにないから、やった。人通りが皆無な路地にたどり着いたとき、ほんのり膀胱にションベンの気配を感じて、それでやれそうだからやった。
これってションベンはしたいけど、立ちションがしたいわけではないと思う。ションベンがしたいだけなのだ。トイレがあればもちろんトイレでするし、別に必ずしも物陰での立ちションじゃなくても構わない。それが世間一般的に考えられる立ちションのあり方だと思う。だから、立ちションしている男が別の立ちションしている男に対してつながりを感じるのだろうか?という関心である。
普通の感覚なら、立ちションは恥ずかしくて道徳に反する行為なのだから、偶然にも至近距離で赤の他人が立ちションを始めて連れション、すなわち連れ立ちションという状況が発生した場合、いや・・・それ稀。赤の他人と連れ立ちションの状況が発生したとしても、たぶん見られたくないはずであろうが、でもその一方で「悪いことしてるのは俺だけじゃない」っていう安心感は生まれるはずだから、それはそれで一種のつながりになり得るのではないかな、とは思う。
でもそれは、立ちションが好きというつながりが生まれることは決してないのが残念でつまらない。タバコの味とか銘柄とか、バイクの車種やどのエンジンオイルがとか、グローブが~ウェアーが~とか。そんなのを語るのと同じノリで、立ちションした場所とか、立ちションの頻度とか、最後にした気持ちいい立ちションの話は、偶然に町中で見かけた立ちション男とは話題にすることが極めて難しい。
「ねぇいつもここで立ちションしてるの?」って聞きたい。