路上飲み Ver2.0:何度も同じ場所を訪れたい

 立ちションを見たときの興奮と、見たいものを見ることに成功して、それゆえラッキーな気持ちが人をハイにさせる。これはもはや依存症なのでは?という内容の記事を書いたが、今回もその続編にあたることついて話していきたいと思う。

 今回は、場所に対する執着心の話である。緊急事態宣言だか蔓延防止等重点措置(マンボー)だったのか忘れてしまったが、路上飲みが流行った。いや、流行ったのではなく、しょうがなくそれを行わないと、夜にはアルコール類が一滴も飲めない状況だった。酒類を提供する飲食店は、午後8時で閉まっていたような気がする。ラストオーダーが19:30の非日常的な光景が、確かに存在していた。

 初期の緊急事態宣言のような緊張感はずっとは続かない。何度も“宣言”だか“マンボー”だかが延長され、それがまた“再”延長などと終わりも見せず、かといって初期の頃に比べると、誰しもがもういずれは罹患するのでは?という気持から、感染に対する恐怖心がそこまで我々全員が一致する見解でもなくなった絶妙のタイミングで、路上飲みがすっごく流行っていた。もちろん、はなから感染など気にしない一定の層は路上飲みはずっとしていただろうし、そもそもコロナ禍と関係なく、路上の適当な場所でちょっと数名が集まって飲み物を片手に談笑する行為など、当たり前に行われていた。

 ただ、コロナ禍の“路上飲み Ver2.0”はその数がすさまじかった。夜8時に居酒屋を追い出された人々と、残業などで時短営業に間に合わず、最初から路上飲み以外の選択肢がない人たちが、駅前の広場やオフィス街の一角にある公園などといった空間に、無秩序に放り投げだされたのである。路上飲みは、居酒屋に備わっている「お済のお皿をお下げしますね」の要員もいなければ、トイレも近くにあるとは限らない。なので、当時の夕方のワイドショーなんかでも、しきりにゴミ問題を取り上げていたように思う。特にトイレは、飲食店という空間であれば、トイレまでが遠いということはほぼあり得ない。トイレが混雑したり、酔いつぶれて個室にこもって回転が悪くなるなどのイレギュラーなことは考えられるものの、トイレの場所は基本的には近い。一方、路上飲みの場合では、路上飲みをするために陣取ったその臨時会場が“トイレまで遠い”という問題が生じえる。駅前の広場であれば、定期券を持っている人は改札の中にあるトイレをわざわざ使っている人も多くいたのだが、そもそも駅前ではなく、トイレが近くに一切無かったり、路上飲み会場の近くにある「トイレが使えるだろう」と目論んでいた商業施設が、時短営業で閉まってしまい、トイレが路上飲みの途中からいきなり使えなくなるなんて事態もあっただろう。

 これら理由によって、路上飲み Ver2.0では、立ちションが当たり前に行われてしまうようになっていた。しかも、ものすごい数の人が路上飲みを選択したため、普通に路上飲みの立ちション専用エリアが爆誕してしまっていた。ためしがき氏も、あるとき偶然にもその会場に居合わせたりして、自然と視界に入ってしまうサラリーマンたちの立ちションやら連れションやらを見て、路上飲みは立ちションの機会ということに遅れながら気づいたのであった。

 それから何度かブログ運営者として、路上飲みの取材に出かけるようになった。最初は金曜夜の花金を狙ったり、次に木曜夜、そして火曜夜もねらい目であったように思う。花金は言うまでもなく、休日前なので、飲み会の機会は多いだろう。木曜日も、土日が休みの人たちにとっては、週の下り坂でもあり飲みに出やすい。火曜日は、水曜日の不動産業界が休みになるので、それらの職種の人にとっては、いわば花金のようなものである。

 場所は、渋谷・新宿・池袋・上野・浅草・新橋、あらゆるところを巡った。当たり外れがあるのも当たり前で、当たりの日は、池袋の雑居ビルのビルとの間で、人が1人入れるぐらいの狭い物陰では、同じグループのリーマン5人が入れ替わりに立ちションをしていて、次の順番のリーマンが「おい、●●!早くしろよ!」と股間を思いっきりつまんでクネクネして順番待ちをしていた。これがコロナ禍の立ちションで、一番の興奮した光景であった。路上飲みをしている人たちが立ちションをしにいく瞬間は、とっても分かりやすかった。路上飲みと関係のない通行人であれば、手にはカバンなり荷物を持っているのだが、路上飲みの人々は、自分らが陣取ったエリアに荷物を置いているため、まるでお店の中にいるかのように、手ぶらでフラフラと席を立ち(席などないのだが)、仲間といる空間からおもむろに離れていく。単独で荷物を持たず離れていく者、電話をするフリしながら離れていく者、連れに声をかけて数人で行く者など立ちションのスイッチが入るのは様々だったが、全員共通して、外という空間なのにも関わらず、明らかに手ぶらであった点であった。また、興味深かったのは、グループに女性がいる場合で、その女性がトイレを探しにいったタイミングや、女性が「トイレに行きたいから、コンビニでついでにお酒追加で買ってくるね」と消えていった瞬間に、男性陣で立ちションしに行く例もあった。やっぱり、女性に立ちションがバレるのは恥ずかしいらしい。

 また路上飲みでは、コンビニやらでお酒とつまみを買って持参するから、つまみも簡単な乾き物になりがちである。居酒屋ではあれやこれやと食べながら飲むが、路上飲みは基本的に半空腹状態をごまかしながらビールや缶チューハイを流し込む。そうするからか、立ちションのペースが非常に速かったのも特徴的であった。

 こんな感じで時短営業の期間は、路上飲みの立ちションが熱すぎた。そして今、行政による行動制限は一切設けられていないし、極端な時短営業も行われていない。そうすると路上飲みをする必要がなくなったので、もう路上飲みの文化は激減してしまった。例えるなら、花見の満開の状態を路上飲みのピークとするなら、今は葉桜もほぼ散って、花冷えかつ雨の予報くらいの寂れ具合である。だがしかし、依存症の状態では、このように立ちションなど今は発生しないと分かり切っているものの、以前そこで立ちションがたくさん見られたから、という理由で脳がその場所に再訪問することを求めてくる。あの時の立ちションがたくさん見れた快感を、脳はしっかりと覚えてしまっている。調教されたイヌやらサルは、餌がもらえるための行動パターンを覚え、人はそれを勝手に“しつけ”と言い、動物はかつて餌がもらえたパターンに支配されながら行動して、人間に「えらい!かわいい!」と、対価としてのご褒美を食らう。立ちションのご褒美を探しに、もう見れなくなったかつての路上飲みスポットを、金曜日が来る度に再訪問したくなる気持ちは正直つらい。つらいのは、依存的な再訪問をやめたいのではなく、路上飲みの人がいなくなって寂しくなった街の広場を見たくないからなのである。彼らが路上飲み会場の隅っこのコンクリートやら土を、ジュージューと音を鳴らして濡らしていく光景を、もう一度見ることができればなぁ・・・。