立ちション中に肩を揉まれてありがとう

 インスタントコーヒーにハマった時期がある。丸っこい瓶のマキシムを飲みまくっていた。詰替えもスーパーで安く買えたから、家と職場に常備していた。コーヒーは外では高いからさほど飲まなかったが、家で飲むのは好きだった。お酒は得意じゃない。だから誘いのしがらみをかわして帰宅し、金曜の夜に自宅で豆を挽いてドリップして飲むのは幸せだった。マキシムと出会ったきっかけは、職場の給湯室で粉のコーヒーをペーパードリップするとゴミになるから、処理がめんどくさくなりインスタントに手を出した。いくつか飲んでみた中で、マキシムだけは、濃いめに作ると熱々で飲んでもおいしいし、冷めてもおいしかった。それからは、家でも手軽なマキシムをおいしいと感じて飲みまくり、豆から飲むことはなくなってしまった。

 私の性欲は膀胱に支配されていて、ションベンがしたいときが一番ムラムラする。コーヒーの利尿作用は手っ取り早く効く。コーヒーだけ飲んでももちろん作用はあるのだが、さらに作用を高めたいなら、コーヒー1杯につき、それと同じ量の常温の水を飲むといい。実はこれは健康的なコーヒーとの付き合い方でもあって、利尿作用でやや過剰に失った体内の水分を補給する意味があるらしい。医者じゃないから詳しいことは分からないが、利尿作用は、まず体内の余分な水分を排出するのであって、コーヒーそのものがすぐにションベンに変わるといった、ションベン好きにとっての魔法の黒い液体というワケではないのだ。

 家でコーヒーをたしなみ、そして常温の水を“丁寧な暮らしをしている健康的なモデル”みたいな様相で飲み干し、それから夜の立ちションウォッチングに出かける。そんな金曜の夜が大好きだった。

 コーヒーと水の各1杯だけで、繁華街の立ちションスポットに到着する頃には、他人の立ちションを目撃する前に、自分が一番おしっこがしたいおじさん状態になってしまう。にもかかわらず、やはり根っから運はいい方なのか、スポットで蜘蛛の巣のごとく透明に待ち伏せしていると、15分以内には立ちションしたいかわいいリーマンが、スラックスのチャックに手をあてがいながら町中の死角に引き寄せられてくる。そして、それから10秒くらい遅れて、あたかも偶然を装って至近距離に立ち、連れ立ちションベンを横でする。こちらもコーヒーで限界寸前だから、いい感じにビチャビチャと音を立てて連れ立ちションができる。

 相手は、当たり前だが急に現れたこちらに少々驚くが、自分と同じ悪いことをしちゃっている大人同士であると認識するため、不審がられたことはほぼ一度もなく、大抵は親近感を持って話しかけられる。やはり、一人で立ちションしている大人は、ばれやしないかと多少の心細さがあるのだろう。別の大人が、偶然にも同じように立ちションをしに来た仲間だと分かると、心を許し饒舌になる大人が圧倒的に多い。これって、普段の男子トイレの小便中の挨拶から始まるコミュニケーション以上に、いい人間関係の形成が期待できるのではないかと思えるほどである。(立ちションをするような大人と、仲良くなるメリットとは?との疑問は残るが)とは言え、夜の繁華街の裏路地なんかで立ちションしちゃっている大人は、そもそもぶっちぎりのコミュ力を備えていて、それは遊びの中で培っているような人種なのだとは思う。

 「いやー、ションベン限界で。マジ焦りましたよー」
限界だったのか。
 「みんな考えることって同じっすね、あはは」
あ、いや私、ここがスポットと知っていて見張ってただけなので。
 「あ、お兄さんも路上飲み?ここだとトイレ遠いから、こうするしかないっすよね」
路上飲みじゃなくて、立ちションウォッチング中だ。
 「前橋から出張で来てるんだけど、いい女の子いる店ない?」
知らねえなぁ。
 「俺のションベンがお兄さんの足下に流れちゃう。気ィつけて。」
靴で吸いたいから、それはそれで構わない。
 
 こんな具合で、話しかけてくる男は多い。中でも印象的だったのは、「俺、先に終わったんで、誰か人が来ないか見張ってますね。たばこ吸ってるんで、ゆっくりやっちゃってくださいよ」と、こちらが立ちションを終えるまで背を向けて見張ってくれたリーマンに出会ったことがあった。背が低く、小太りだけど髪型がイケイケで、すげーいい奴って思った。あれは確実に出世する。

 ほかにも、路上飲みが流行っていた時期のエピソードがある。立ちションスポットとなる場所は暗がりのため顔がよく見えないこともある。その上、相手も酔っ払っているためか、その立ちションリーマンの連れだか同僚に間違われたことがある。こちらが無言で立ちションを至近距離で始めると、先にションベンが終わったリーマンは、話しかけてくるやいなや、急にこちらの肩と背中を慣れた手つきでグイグイと揉んできた。びっくりしてションベンも止まったが、そのリーマンは「この後どーする?もし、○○さん先に帰ったら、お前んちで飲み直さねえ?」と。とっさに、こちらも「おお、了解。先戻っといて。電話してから戻るから」と、その場をやり切った。相手は、同僚と声が違うことに気づいてすらいない様子で、「おう」なんて言いながら、消えていった。見知らぬリーマンに立ちション中に揉まれた肩、めちゃめちゃ気持ちよかったなぁ。なお、帰り際にその路上飲みグループを遠目で確認した。確かに、自分とよく似た身丈の男が一人混ざっていた。