ネットの情報でこんな一文を見たことがある。「チ●コ丸出してイケメンが立ちションしてました!」イケメンの立ちションは、可能なら毎日遭遇したい場面として完全同意なのだが、ちょっとその言葉をよく考えてみてほしい。もし、そのイケメンがチ●コ丸出しではない状態で放尿していたとすれば、それは「おもらし」なのである。体内の黄色い液体を排出するためには、男性の人体構造および服を着なければいけないという社会秩序のもと、チ●コは丸出しにしなければならない。ま・る・だ・し。
というわけで、今回は男のおもらし全般について概略的に少し語っていきたい。まず、おもらしに関連する言葉として「失禁」を調べてみると、それは「大・小便が、自分の意志にかかわらず、排泄されること」を指すのだと言う(出典:デジタル大辞泉・小学館)。次に「おもらし」では「小便を漏らすことをいう幼児語」だと解説される(出典:同上)つまり、失禁が指すところは、普段「おしっこをしていいと指定された場所」以外という前提のもと、自分の意思とは関係なく制御なく垂れ流してしまう状況を言う。したがって、服を着ているのかどうかはあまり関係がなさそうであり、止めどなく出てしまうその行為自体を指すものと考えられる。もっとも、制御なくといっている時点でそのほとんどが服を着ている状態であるということには当てはまりそうではあるが。一方、おもらしは出典によると幼児語だそうだ。筆者は一般的な「おもらし」という単語に対する語感がすでに失われているのではないかというくらい、「リーマンのおもらし」とか「プロ野球選手の豪快おもらし」とか「経理課ノンケ係長のおもらし」という、いわゆる「大人」を示すキーワードと「おもらし」の結合に対して違和感は一切覚えないが、基本的にはおもらしをするのは子供に限られるといった見解が普通なのである。だから、絶対に大人がしてはいけない行為をあえて大人がしてしまったというところに、おもらしの「エッチ」な一面が成立する。普通しない行為を、絶対にしないような人間がしてしまうというギャップに欲情することは何も珍しいことではないと思う。あるいは、もし本当に大人がおもらししてしまった場合に、それを他者がまじまじと目撃できることは基本的にはなく、当事者によってその機会が強く避けられるのではなかろうか。例えばおもらししてしまった大人は、恥ずかしいからすぐさまトイレの個室に入って処理をしたり、その場から逃げてしまったり。だからこそ、それを偶然にも目撃できた希少性に対して強いシコみを感じるのであろう。
少し話が戻るが「失禁」という言葉には、“服を着ているかどうか”は関係ないようであると先にも述べたとおり、自分の意思と関係なくやらかしてしまう出来事を言う。「我慢しなきゃ」という意思があっても、それと関係なく我慢のキャパシティを超えて出てきてしまうのが失禁なのだから、いわゆる限界我慢の末のおもらしは王道的な失禁であろうし、驚かされた反射で急にジュワっと出してしまうのも失禁だろう。同様に、泥酔していて、そもそも我慢するというコントロール権さえも失っている状況での泥酔おもらしも、ごくごくスタンダードなおもらしと言えよう。絶対にありえない情景ではあると思うが、何らかの理由により全裸にされて手足を縄で縛られたムキムキの男が(別に筋肉量などどうでもいいのだが、筋肉量が多ければ多いほど小便我慢の筋力も強そうだなという偏見からムキムキにしておいた)、数時間後に少しずつ溜まってしまった小便を我慢できず縛られた格好のままその場で出してしまう行為も、失禁なのであろう。
エッチな行為として一般的に認識されているおもらしは、別名の「着衣放尿」が実は適切なのではないかと思う。服を着たまま放尿するぞ、という意思により放尿して、その結果ズボンを濡らす。やはり失禁という言葉は自分の意思にかかわらず、かつ制御できずに、といった条件がつくため、「リーマンの失禁」という字面からすると、たぶん彼は渋滞にハマってとかエレベータが故障してとか、「どうしてもトイレにいけない状況下」を連想させるのであって、そんな状況で我慢に我慢を重ねたあげく限界を迎えて、「漏らすわけにはいかない」という意思に反して股間を濡らす情景が思い浮かぶ。反対に、「リーマンのおもらし」は、大人で働いているという社会的地位を崩壊させる出来事として、大人なのにおもらししてしまったといった羞恥心を強調させる。
何が言いたいのかと言うと、着衣放尿はエッチなプレーとしてエンジョイできる単なるアクティビティなのだ。普通なら、ズボンとボクブリなりトランクスなりブリーフなり(自分が好きなパンツで読み替えてほしい)をズラすことでチ●コを出して放尿するが、それをあえてズラさず、着たまま、そのまま、チ●コが布にあてがわれた状態で発射させる。筆者はこの着衣放尿を、立ちションと同レベルのイレギュラー放尿の一種なのだと考えている。男の小便クラスターは実は細分化されているので、当然異論があって構わないのであるが、便器の前とか浴室とかでするおもらしは、もちろん「おもらし」であることに変わりはないが、もしその場面に大人を連想させるための要素がちょっとでも欠落していたら、筆者の個人的見解では、それは単なる着衣放尿である。大人の要素を持ち合わせるための条件としては、例えば、大人らしい服装とか、大人らしい声とか、はたまた絶対におもらししないような場面・情景などである。これらが備わってはじめて大人がしてしまった恥ずかしい「おもらし」が成立して、日常では結合しない成人男性とおもらしに、エロさを生み出す。このため、便器の前や浴室でする着衣放尿行為は百歩譲って、疑似おもらし体験とでも言い表そうか。ご理解いただいていると思うが、筆者は着衣放尿は大好きである。浴室で行われる大人を匂わせない着衣放尿という行為を否定したいのではなく、これまでおもらしが禁断の遊びと認識されているという実情を、ごくごく普通の放尿の亜種と見なすことを提言することにより、更にこの着衣放尿というプレイが陽の目に当たることを願いたい、それだけなのである。
最後に、筆者の好きな色は、よく黄色と誤解されがちであるが、実は黄色ではなく、濃い灰色が好きだ。分かる人はすぐピンとくると思うが、グレーボクブリが着衣放尿あるいは失禁によって濡らされた部分の色は、黄色ではない。濃い灰色なのである。